まだ見ぬ嫁を探して

東京外国語大学卒。 自由に書きます。 猟山主理 @shurinporin

これは40年くらい前に出版された本で、図書館で見つけたときの本の状態はぼろぼろだった。
スイス人女性医師である著者は医者になってホスピスの患者を受け持っているうちに、最期の迫った人間の感情の流れには4段階あることに気付いた。
「怒り」「抑鬱」「取引」「受容」である。

ある日余命宣告されると、まずその人は「怒る」
そんなことないだろ!ふざけんな!
何故俺なんだ?
そして「抑鬱」期に入り、その後色々と心の中で「取引」を試みる。
〇〇するから俺を助けてくれ、俺が死んでもあいつの事だけは神様頼む・・・
そして最後は「受容」
全ての現実を受け入れる。

このため医者である著者は、受容段階にある人に対しては「頑張って生きて」みたいなことは一切言わず、静かにしたい事をさせてあげたりしていたそうだ。

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
エリザベス キューブラー・ロス
中央公論新社
2001-01






「誰に対して文章を書いているんだろう?」
「ブログのタイトルにセンスがないから変えた方がいい」
「ダメな自分は書かない方が良い」

先週のある日、
これらの言葉を投げかけられて、ぼくは思わず言葉に詰まった。

ブログなんて誰が読んでいるのかなんて分からないし
もし分かったところで気を使って言葉を選べるほど、文章慣れしていない。
だからぼくは自由に自分を表現しようと、出来る限り赤裸々に書こうとだけ心がけていた。
一応自分の中でそう決めていたのに
なぜダメだしを食らわなければならないんだ。



けれど今対面している相手は、ぼくのブログを全て読んでくれていて、
その上での指摘だから、ただの誹謗中傷ではない。
そう思うと何も言えなくなってしまった。


しかもその相手は、友達でも大学の知り合いでもなく、
旅の企画に支援してくれる会社の取締役だった。 




今回の訪問は、前の「知らない会社へ突撃してきた」の時ほど緊張はしていなかった。

同日の朝にも別の会社へ訪問していたことや、
事前のメールでのやりとりで既に支援をして頂けると言葉をもらっていたからだろう。

もしかしたらそのままメールのやりとりだけで協賛品を郵送してもらう事もできたかもしれないけれど
個人の企画に協賛を付ける事の難しさをひしひしと感じている中で、興味を持ってくれた事に対して素直に御礼を言いたかった。
その思いから寒い雨の中、先週の交通事故で負った身体の痛みも押し殺して
会社まで足を運んだ。


ようやくの思いでオフィスまで来た学生を相手に無駄にダメだしをするだろうか?
これは単なるダメだしじゃなくて、貴重な「意見」なのではないだろうか。

そこでダメな理由をすべて聞いてみることにした。

すると相手はとても丁寧に自身の社会人としての経験を踏まえながら様々なことを語ってくれた。

もし自分が赤の他人のブログを読むなら、そこにはどの様なおもしろさがあるから読むのか
アクセス数やブログの告知方法からおおよその読者層は推測できないか
Twitterのアカウントをうまく利用して自分から特定の読者層へ投げかける方法があること
....etc.

今の自分の考えを深めるために必要なことや方法をひとつひとつ親切に教えてくれた。

その全てを理解して納得できた訳ではないけれど、
これまで自分の倍以上の人生を歩んできた人の話は説得力に溢れるものがあった。





自ら思う自身の内面を飾るだけの文章を書くことは、
自分が向き合いたくない痛い事実から目を背けるための最も都合の良い方法なのかもしれない。










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